|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 世 : [よ, せい] 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network) ・ 王 : [おう] 1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi)
エドワード4世(Edward IV, 1442年4月28日 - 1483年4月9日)は、イングランド国王(在位:1461年 - 1483年、ただし1470年から1471年にかけて数ヶ月の中断がある)。 薔薇戦争(1455年 – 1485年/1487年)の第一次内乱に勝利したことにより、ランカスター家のヘンリー6世を廃位して、ヨーク朝を開いた。ウォリック伯リチャード・ネヴィルの反乱(第二次内乱)により短期間だが王位を追われて、ヘンリー6世の復位を許すが、反撃に成功して王位を取り戻している。 == 生涯 == === 出生から即位 === イングランド王位継承権者ヨーク公リチャードとセシリー・ネヴィルの次男として1442年4月28日にフランスのルーアンに生まれた。彼の生まれたヨーク家は王家であるランカスター家を除くと、唯一のエドワード3世の男系子孫であった〔青山他(1991),p.430.〕。兄であるヘンリー・オブ・ヨークは早逝しており、実質的な長男である。幼少にしてマーチ伯(ウェールズ辺境伯)に叙爵され、少年期の大部分をウェールズ境界地方(ウェールズ・マーチ)のラドロー城で過ごした。 対仏戦争(百年戦争)の主戦派だった父のヨーク公は、ヘンリー6世が重用する和平派サマセット公エドムンド・ボーフォートとの権力闘争を激化させ、1455年に第一次セント・オールバーンズの戦いを引き起こし、薔薇戦争と呼ばれる内戦に突入する。戦いに勝利してサマセット公を戦死させたヨーク公は護国卿(摂政)に就任して権力を掌握するが、マーガレット王妃の巻き返しを受けて窮地陥り、1459年に内戦を再開させた〔青山他(1991),pp.433-434.〕。 ラドフォード橋の戦いでヨーク軍が敗れるとエドワードは母方の伯父のソールズベリー伯リチャード・ネヴィル、その子で従兄のウォリック伯リチャード・ネヴィルとともにカレーに逃れている。翌1460年7月にエドワードは彼らとともにイングランドへ逆上陸を果たし、歓迎を受けてロンドンに入城し、ノーサンプトンの戦いでランカスター軍を撃破して、ヘンリー6世を捕らえた。ロンドンに入城した父ヨーク公は王位を要求したが容れられず、護国卿職就任とヘンリー6世死後の王位継承者となることで妥協させられた〔川北他(1998),pp.127-128;青山他(1991),pp.435-436.〕。この後、エドワードはランカスター派討伐のためにウェールズに戻ったが〔ワイズ(2001),p.10.〕、翌1461年年明けに父と次弟のラットランド伯エドムンドがウェイクフィールドの戦い(1460年12月30日)で敗れて戦死したことを知らされることになる。 ヨーク公位と父の王位請求権を引き継ぐことになったエドワードは急ぎ軍を召集し、ペンブルック伯ジャスパー・テューダーとウィルトシャー伯が率いるランカスター軍を2月2日にモーティマーズ・クロスの戦いで打ち破るとロンドンへと兵を進めた。マーガレット王妃のランカスター軍は第二次セント・オールバーンズの戦いでウォリック伯率いるヨーク軍を撃破してヘンリー6世を奪回し、ロンドンに迫るものの、兵に略奪を許したために信望を失い、ロンドン入城を拒まれてしまう〔指(2002),p.40;川北他(1998),p.128;青山他(1991),p.436.〕。 この間にエドワードはウォリック伯と合流してロンドン市民の歓呼を受けて入城した〔ワイズ(2001),p.13;川北他(1998),p.128;青山他(1991),p.437.〕。彼はで開催されたヨーク派の評議会で国王に推戴され、3月4日に即位する(エドワード4世)。それから間もなく新国王とウォリック伯は北へ向かい、3月28日のタウトンの戦いで決定的な勝利を収めた。ランカスター派のマーガレット王妃とエドワード王子はスコットランド、次いでフランスへと逃れ、ヘンリー6世は1465年に捕らえられてロンドン塔に幽閉された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エドワード4世 (イングランド王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|